<エタノールと移民ー国境の北と南で-Cyberchat>

2007年1月1日の午後10時からNHKBS1で放送された「地球特派員スペシャル」の為に、2006年11月の下旬にアメリカの中西部とメキシコのアメリカ国境沿いを取材しました。
取材のコンセプトは、いろいろな指標で見た世界地図の歪みを手がかりに、経済の成長という大きな枠組みの中で「競争と格差」という問題を抱える今の世界を「4人の特派員」が各地を取材し、のちにスタジオで討論するというもの。4人とは、私と榊原英資、姜尚中、江川紹子各氏。それぞれの地域を受け持ち、私はアメリカとメキシコ。
アメリカには4年間いましたし、メキシコにも行ったことがありますが、今回の取材はいずれも両国のこれまで見たことがない地域が対象で、私としても非常に勉強になった。アイオワ州のトウモロコシ畑の中を走り、そしてエタノール工場を見学し、GMの経営者よりもよほど勉強家、革新家のアメリカの農家の経営者(この表現が正しいと思います)を取材し、取引所を見て、そしてメキシコサイドから危険を承知でアメリカへの密入国をトライする人々を取材し、といった形。
「エタノール」は2006年の一般教書演説でブッシュが石油依存症のアメリカがエネルギーの自立性確保を目的に具体的に名前を挙げたことから急激に注目された産業だが、アメリカでは主にトウモロコシから生産する。ブラジルはサトウキビからの生産。エタノールはあらゆる植物(草も可能)から作れ、例えば日本では米からの生産も可能。実際にするかどうかは別にして。
のちの文章にも書きましたが、いろいろ面白いことが起きている。例えばアイオワ州はこれまでアメリカでもっともトウモロコシを他州や海外に輸出(?)してきた州ですが、今は州内に次々とエタノール工場が出来て州内消費するために、「今後は他の州から輸入(?)しなければならなくなるとか、トウモロコシに対する燃料としての、また食糧としての需要が増えたこと、加えてエタノール工場の増加によって需要が高まったことによりアイオワ州の農家が所有する農地の価格が過去10年で10倍に上昇した、と言ったこと。
アメリカの自動車産業の苦境は言うまでもありませんが、その行く先(工場の移転先)の一つはメキシコ。しかし工場がアメリカから移ってきているメキシコでは依然として職場不足と低賃金がはびこっていて、聞けばびっくりするほどの数の不法移民希望者が徒歩での国境越えを試み、その三分の一がそれに成功する現実。三分の二は連れ戻されてもまたそれを試みる。
ブッシュ大統領はその波を止めようとするが、しかし一方のアメリカには「移民は必要」と、犯罪を起こさない一定期間きちんと働いた人には居住権を与えようと言う動きがある。つまり北と南の両方で、民を北に移動させる圧力が存在するという動かし難い現実。
そういう現実を目に出来た事は非常に鮮明な記憶として残った。移民が必要なアメリカの産業は、農業(農場の農作業に従事)、建設業(現場労働者)、各種サービス業など。なにせアメリカではメキシコの10倍の労働賃金がもらえる。そしてメキシコには、アメリカの一稼ぎして家を建てた連中が各村に何人となく居る。成功体験が転がっている限り、貧しいメキシコの人々は北を目指す。中南米の人々も、メキシコを経由してアメリカを目指す。
アメリカとメキシコの国境に実際に行きました。下に写真があるので、見て頂きたいのですが、国境がない日本の人間としては考えさせることが多かった。番組は何回も再放送されていますので、見て頂ければ良いと思います。私のところにはDVDもあります。
以下は、私が取材中に残した文章です。day by day から採録しました。
2006年11月18日(土曜日)
(24:27)ホントにびっくりしました。皆で食事を済ませて打ち合わせをし、ちょっと一寝入りした後に目を覚ましたら突然ケイタイ電話が。当地夜の12時ちょっと過ぎの日曜日に入ったところ。誰だろうと思って電話を取ったら番号が非表示。聞こえてきたのはインド英語で、パトナのラマヌジャン数学アカデミーの経営者であるアマンド・クマールさんでした。
彼とは六月にインドで別れたきりでしたが、今回電話してきたのは彼が日本に来るとかいう話ではなくて、「あの時のビデオに出ていたIT会社の社長の名前はなんていったっけ」と。顔は直ぐに思い出しましたが、名前が思い出せなくて「調べてメールする」と返事。彼とは一度メールを交換していますから、メーラーで「kumar」で検索すれば分かる。
まもなく思い出して、「ビピン・トヤギ」さんでした。ははは、彼とは6月にインドから帰ってきて直ぐに林さんやドヴァルさんと一緒に東京で西麻布のアイスバーで時間を過ごしたことを思い出した。ちょっとした偶然です。
ところで、飛行機の中のアナウンスメントから分かっていたことですが、デトロイトやその周辺は東京から来た私にとっては寒い。到着時が摂氏7度。しかし、ここに既に数日活動してきた4人の方々にとっては、「今日は風もないし暖かい」そうで、こちとら「そうですか」と言うしかない。夜は寒そう。
うーん、アメリカの中西部に来たのは90年代の終わりに来たシカゴ以来です。確かあのときは冬ではなかった。デトロイトの空港で見かけた右下の写真は、下に広告主として「フォード」と出ていますが、一つアメリカが目指している道(road)です。
It is not just a interstate
It is a road to the future.
と書いてある。「interstate」というのは州際ということで、アメリカの主要道路を指しますが、それが「未来への道」でもあるというのはどういうことか。 それは「E・85」がエタノール85%の割合でガソリンと混ぜ合わせた「エタノール燃料」を指すからです。今年のブッシュの年頭教書の中にアメリカのエナジー・セービング施策の大きな柱として名前が挙がったのは「エタノール燃料」。下にトウモロコシの絵が見えるのは、アメリカではエタノールをトウモロコシから取っていることを示している。もう一つのエタノール大国であるブラジルはそれを主にサトウキビから作る。
ひょんなところからデトロイトの空港で知り合ったバイオ関連の博士号を持つ内ヶ崎さんによると、「エタノールは植物だったらなにからでも出来る」そうで、お米からも出来るそうです。アメリカは草からエタノールを作り出す研究もしているという。まあでも日本で「米からエタノールを作る」とはなかなか言えないでしょうな。一番効率が良いのはサトウキビだそうです。
この「E・85」はアメリカで注目されているのですが、問題がある。それは10月にニューヨークにいたときに自動車アナリストから聞いたのですが、全米のスタンドの約0.4%でしか扱っていないこと。このアナリスト(ニューヨーク在住)が「E・85」を入れようとしたら、ワシントンDCまでいかないと行けないというのです。だから実用化はまだずっと先。
夕食はホテルでしましたが、リスク分散思考から5人で皆が違うものを頼んで、それを小皿をもらって少しずつ分配して一挙に5食分トライしようと。そうすれば、それぞれの何か好きなものがあるだろうと。
当然予想したが、相変わらず量が多い。そして我々の周りを歩いているアメリカ人を見ると、凄く太い。だからウェートレスの女性に敢えて、「いつも思うのだが、食事の量が多すぎると思うのだが、アメリカの人達はこれを全部食べるのか?」と聞いたのです。
そしたら彼女曰く、「私も多いと思う。でも皆が期待するからこうなった。でも食べきれないから、結構な人が家に持ち帰るんです.....」と。そりゃそうだろう。そうした方がいい。しかしそれでもやはり食べるから、男性も女性もすごくおなかが太く大きい人が多い。
見ているとアメリカ人の食べ方も悪い。私の飛行機の隣に座ったアメリカ人はデトロイト在住と言っていましたが、見ていたらサラダをほとんど食べない。そして出てきた肉はきれに食べていた。私は逆でしたね。ブッシュが国境に建設しているフェンスについてどう思うかと聞いたら、「That is not a good idea.」と言って、「それをメキシコの教育費に回したら良い」と。まあでもそれも迂遠な話です。
私を入れて5人。なかなかの強者揃いです。夕食の時「どんな取材経験があるか」で盛り上がった。初日にして既にハプニングもあり、これからが楽しみ。目的はここに項目で示したようなことですかね。
2006年11月19日(日曜日)
(23:27)宿泊していたミシガン州ランシングからアイオワ州のデモインに移動してきています。日本から見るとあまり違わないように思えるが、時差が一時間ある。ちょっと戸惑いますね。そのたびに時計を戻したり、進ませたり。面倒なので、PCの時計は日本時間のままです。しかしケイタイの時間は目覚ましに使う関係があるから、ほっておけない。
それにしてもアメリカは広い。トウモロコシ畑の中を走ったのですが、前も後ろも道がまっすぐ延びているだけ。本当にまっすぐなのです。ニューヨークの近郊はこういうことはなかった。もう収穫は終わって土が掘り起こされた土地が延々と続く。こんなにゆっくりとアメリカの農村地帯を見たのは初めてだと思う。
アメリカの新聞は面白い。地方色がメチャ強いのです。デトロイトとかランシングに行くと開けば自動車の記事が山のように載っている。デモインでは一面トップの中央がトウモロコシの絵ですからね。この新聞をもって一軒の農家を訪ねましたが、面白かった。そこに近所のおじちゃんも遊びに来ていて、最近のアメリカのトウモロコシ農家の実情を聞きました。
私が驚いたのは、アメリカの都市における住宅価格の上昇や、一方でのその沈静化が一般的に言われている。しかし私の感覚ではニューヨークなどでは住宅価格、土地価格の上昇はまだ続いているし、アイオワの農家に聞いたらトウモロコシ価格の上昇に歩調を合わせるようにここの農地も過去10年で2倍になったという。コンピューターでシカゴの相場を見ながら自分の収穫分の売り時を考える農家の人々。
日本は米で先物相場を禁じていますからそういう光景はないのですが、世界で一番最初に商品相場の市場を持ったのは日本。大阪の堂島です。それを考えると、ちょっと日本の伝統がアメリカで今イキイキと生きている感じがする。
2006年11月20日(月曜日)
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